赤パン帳 (ΘェΘ)

ニッポンセイカツ はじまり、はじまり

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タテ社会の人間関係

タテ社会の人間関係

よく、外国滞在の日本人に見られる、
「日本って外国に比べて劣ってるからキライ」っていう話じゃなくて、
日本を代表する「単一社会」のしくみを理論的に論じたもの。
「日本社会で生きのびるには」的なセルフヘルプの本じゃなくて、
いったいこの社会はどういうものなのかを、一見不可解なものを
理論的に、ほどいていったもの。
まずは、日本社会の全体的な構造、
そして社会の内部の集団としての構造、
リーダーとその集団の構造、
最後に人間関係。

いくつか特に興味があった点は、
「場」が大事である、ということ。
お仕事は何ですか、といわれて、
エンジニアです、ではなくて、どこどこの会社に勤めています、
というのが大事ということ。
「ウチ」が大事だから、会社という枠を超えて、
同じ業界のエンジニア同士のつながりができにくい、
というよりも、敵対してしまう、ということ。
「ウチ」という認識が強いので、社員も家族ぐるみで貢献するし、
会社の方も社員の家族まで面倒を見る。
この終身雇用制の考えからは子供の時から植えつけられていて、
「平等主義」が悪の根源になっている、というのも面白い。
つまり、だれだってがんばることが大事で、この子は算数が得意で、
この子は体育が得意という差をかくしてしまっている。
若くても才能がある人や、人の倍努力をして勝ちとったものを、褒めない。
人それぞれ特技があって別の分野で才能があるものなんだから、
それをうまく利用して社会全体として動けばいいのに。
(私は非平等主義です。
最低限の人権は全世界の人々の権利だけど、
個人の環境は責められるべきものではないし、能力は評価されるべきと思う)

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| (ΘェΘ) | Books | 00:33 | comments(4) |
エマ

Emma − Jane Austin

ジェーン・オースティン、実ははじめて読みました。
イギリスではこういうクラシックな文学を3ポンド以下で出版しているところがあって、
サルデーニャに来る前にいくつか買った本のうちのひとつ。
(そのwordsworth出版の洋書は日本にはないかも?)
普通はペーパーバックは8ポンドくらい以上するので、これはお得。

とってもイングリッシュで、古き良き英国の名残が垣間見れます。
というか、こういう人まだイギリスにいっぱいいるし。
美しくて賢くてお金持ちのエマが、自分は結婚なんてしないと心に決めつつ、
周りの人の恋愛の(大きな)お世話をする、というのが大体のストーリー。
思ってた以上に退屈じゃなかったのは、ユーモラスな会話や上流階級的な人間関係の
滑稽な雰囲気が今でも十分通じる面白さだからなんでしょうね。
やっぱり現在でも映画などにリメークされるわけです。
結果的にみんなハッピーなのも、ぴったり。

個人的には私の趣味の本ではないですが、やっぱりクラシックな文学は
それなりの理由と面白さがあるので、楽しめました。
またロンドンに行った時にでもいくつか買っておこうかな。

| (ΘェΘ) | Books | 19:38 | comments(0) |
サド侯爵 あるいは城と牢獄

この前の黒魔術も大変だったけど、これも大変。
サドに関しては日本一のこの人なんだから、
かなり細かいことまで、詳しく描写されてる。
気分がすぐれないときに読むものではないです。
でも、城と牢獄は考え方次第で入れ替えれるというアイデアも面白かったし
徹底的にキリスト教を否定するという姿勢も面白い。
人は、宗教なり何なりに押しつぶされそうになったとき、
こういう風に反抗するか、もしくは盲目的に信じてしまうか、
どちらかのリアクションしかとれなくなるのかも。
やっぱり、人間っていうのは本当はとても弱い存在で
だからこそ自分を守って他の人も守らなければいけなくて、
一個人として共同体としてのもろさを感じます。
それと同時に、「弱い」と言い切ってしまうこと自体が
表向きが重要視されるキリスト教的な考えで、
本当は人間は残酷で自己中心的で
他人や自分の痛みを喜びと感じるのが自然なのかも。
少年少女に性的虐待をする神父は許されて、
金持ちが貧しい人から法に守られてお金を奪っていくのは当然で、
でも家族の安楽死を助けると確実に投獄される世の中ですからね...
イタリアっていう何に関してもドラマチックな国に住んでると
つくづく、正義って何なのか考えさせられます。

後半はヨーロッパの中世から遠のいて、
日本の芸術家などの批評になるんですが、
残念ながら対象の芸術家その他を知らないので
澁澤龍彦の意見の根本はおもしろかったけど
具体的には、わかりませんでした。

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| (ΘェΘ) | Books | 23:27 | comments(2) |
共同幻想論 起源論 (終わり)

起源論
いままで語られてきたいろんな共同幻想論の生み出すものが国家なのだから、最後はやっぱり国家の起源。
国家というのは、村なんかの小さな、目に見える親しみのあるレベルのその上を行く共同体で、残された証拠が少ないためにはっきりと断言できないというのが結論の様子。
禁制などがはっきりと決まった頃にはそこには国家があったという風に考えても不自然ではないという程度しか言えない。
あとは大陸との交流などの証拠から起源を探ろうとしているけれど、「国家としてどれくらいの段階にあるか」が述べられているくらいで、たとえば「古事記」に書かれていることと比べてみても、「古事記」が書かれた当時にどれだけ正しい情報がありどれだけ脚色されたかは断言できない。

共同幻想論を読んで

年末が間に入って長くなっちゃいましたね...
やっと終了です。

こんなにも、形もなくて証拠もない厄介な観念に対して延々と考えているその姿勢にまず驚かされました。
吉本さんは考えすぎて満足できない、みたいな文章も解題にあって、そのとおり…
この本でも、いろんな論が「結論がなく」次から次へと出てきているので、きっとこの人の頭の中もこんな感じなんだろうなと思わされる。
新版では幸いにも、初めてタイトルを聞いたような若者でもわかりやすく読めるように、と一応気にしているらしいので私なんかにもわかるように書かれている。
が、解題にあるように、これだけ考えるために考えるような人はまだ後世出てきていないし、批判は簡単だけど、この上を行く、すべてにおいて共通するものがあるはずだ、というアイデアのもとに生まれる一般論文はそう簡単に出てこないと思う。
そんなこと言っても、結局のところ誰もが毎日食べていくために働くんだよ、と言い切ればそれまでだけど、それでも「意義」を考える余裕があることは大事だと思う。

| (ΘェΘ) | Books | 00:58 | comments(4) |
墨東綺譚

ひそかにずっと読みたかった本。
あっという間に一気に読んでしまったほどこの雰囲気にひかれました。
別に何か事件が起こるわけでもなく、静かに、ゆっくりと、艶かしく過ぎていく時間。
たくさんのことに期待をしながらも幸せとは言えない日々に起こった
ほんのわずかな変化と、それに執着するわけでもなくただ単に受け止める、晩年の時間。
白玉を「むしゃむしゃ食べたり」、言えずじまいの言葉が部屋を漂っていたり、
そういう平凡の中にあるちょっとしたことが、大げさなドラマよりも色っぽい。
雰囲気では意外にも、「雪国」に似ているかも。
そして作者の荷風のような主人公がこの小説の中でさらに小説を書いていて、
その主人公も同じような時間が過ぎていて、鏡の中の中って感じに
それもとどめない永遠さを確実にしているようにも思える。
そして昔を懐かしむような回想や情景が、こっちまでもノスタルジックにされて、
この雰囲気にゆっくりと浸りたくなる。

| (ΘェΘ) | Books | 00:39 | comments(0) |
共同幻想論 規範論

規範論
抽象的なルールから、宗教や法律ができてきて、そしてそういったルールが破られたときには罰がある。
罰も、破った人を罰するのか、破る行為自体を罰して破った本人を救済するか。
これはいまでも続いている問題にも思える。
たとえば殺人を犯した人に対し、罰として共同体から排除されるか、もしくは反省させて本人を救済するか。
懺悔をすれば罪を洗い流してもらえる様な宗教では「道徳的に」救済するべきと考えられるだろうし、人の命を奪ったものは救済する価値もないと考えられるかもしれない。
宗教や神話のレベルでいえば、神の助けをもって清らかになるために神社や教会なんかを作って、立派であればある程よい、とみなされる。
あともう一つ問題は、ルールや罰は誰のためにあるのか。
共同体の平和のためなのはいいけど、権力をもった層の権力を維持するためのものでもあるのでは?
イタリアでいえばベルルスコーニをメディア上で批判することは批判する人のキャリアにとって非常に危険なことだけど、これは明らかに彼の権力を維持するためで、それでもイタリア政府が国内外でイタリアには自由なジャーナリズムが存在していると強調したいのは我々は「批判者に叫ばしておく余裕がある」と見せたいから、といった感じですね。

(でもイタリアの場合、ベルルスコーニという人物は本当のところはシステムの一部でしかないのに、彼がいなくなればイタリアは住みやすい国になる、と勘違いしている人が多い。
このシステムの根源はテレビや新聞といったメディアだと思う、けどこれはまた次回)

| (ΘェΘ) | Books | 23:30 | comments(0) |
共同幻想論 罪責論

罪責論
神話は「神秘的共存の段階が続いている限り…数に於いて乏しく、質に於いて貧弱である(p198)
つまり神話は、生活が神秘的でなくなってから語り継がれるので、共同幻想を掘り下げるのに都合がよくても歴史を語る上では実は役に立たない、と。
アマテラスの弟スサノオは、父を怒らせたため罪を負うことになるが、農耕民族の祖形であるスサノオの罪は日本の宗教上での現在となる。
父に反対し、母のもとに行きたいというスサノオの願いは違う角度でみると、母系が象徴する農耕世界を自ら選んだ、そして「倫理」を手に入れた大事なエピソードでもある。
これはオディプス・コンプレックスと同じようなもので、父に反することで倫理を手に入れたはいいけど、やっぱり対抗することは罪で、それを背負って生きていくことになるんですね。
自然な親離れをする前に独立することは大きな責任を負うことで、まあそれによって倫理をつかみ取るんだから大きな魚を狙ったらリスクが大きいのも当たり前、というかんじ?
私自身の感覚では、別に何の意識もしていなかった、別に何の事件もなかったある日を境にふと親を一人の人間としてみることができるようになったんですが、そこから自分自身に対する気持ちも変わってきて、それが一般的に言う親離れなのかなと振り返って思うようになりました。
その何年も前から親とは離れて暮らしていたし別に実際は何も変わってないし、会えば甘えているんですけどね、そんなもんですね。

| (ΘェΘ) | Books | 18:39 | comments(0) |
共同幻想論 対幻想論

対幻想論
人は共同体の中では職業など社会的立場があり、同時に一人の個人でありうる。
けれど家族の中ではどちらも通用せず、家族の一員であるのみで、一人の個人ではありえない、なぜならそこには対なる幻想があるから、といったところでしょうか。
個人があって、対があって、共同体があり、それは三つの軸として一人の人間の中に矛盾されないように存在しているべき。
男・女と対で意識されるころに農作業も定着し、植物がまた次の年に実をつけるサイクルが、人は死に女性が子供を産むサイクルに似ていると理解された。
共同幻想と対幻想が一致したときに、男の役目、女の役目を分かれていった、ということらしい。
この章は漱石や鴎外の結婚風景にも触れていて、身近な章、いやもっといえば地に足がついたことから始まっているので他とは違う。
一人の個人という考え方は家庭ではありえなくて、家庭では「男の役目」「女の役目」ではなく、対のカップルとしての本質的な関係が重要でそれを怠ると夫婦は崩壊し、子も正常に親離れする前に絶望してしまう。
私は子どもといたいから仕事を辞めたという人も多くみたし、自分が仕事を辞めて家事をしたほうが家計のためで仕方なく主婦になる人も見ました。
が、あるパートも内職もしたことがない主婦が成人した子供に「私は働きたかったのにあんたたち子どもがいたから家にいなければいけなかった」と言っていたのを聞いたんですが、それはひどい。
あと、働く女性に「彼女は家から逃げる場所があってうらやましい」なんて言ってる人、仕事で疲れているのに家に帰ったらひたすら家事という生活を1ヶ月でもやってみたらと言いたくなる。
対の関係がそれぞれなのと同じように、自分の家のルールがほかの家では通用しないというのが完全に無視されている自分勝手な妄想。
でも、たぶん、この対幻想を女性に言わせたら違うような結論が出るのかも?

| (ΘェΘ) | Books | 02:34 | comments(0) |
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