赤パン帳 (ΘェΘ)

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共同幻想論 対幻想論

対幻想論
人は共同体の中では職業など社会的立場があり、同時に一人の個人でありうる。
けれど家族の中ではどちらも通用せず、家族の一員であるのみで、一人の個人ではありえない、なぜならそこには対なる幻想があるから、といったところでしょうか。
個人があって、対があって、共同体があり、それは三つの軸として一人の人間の中に矛盾されないように存在しているべき。
男・女と対で意識されるころに農作業も定着し、植物がまた次の年に実をつけるサイクルが、人は死に女性が子供を産むサイクルに似ていると理解された。
共同幻想と対幻想が一致したときに、男の役目、女の役目を分かれていった、ということらしい。
この章は漱石や鴎外の結婚風景にも触れていて、身近な章、いやもっといえば地に足がついたことから始まっているので他とは違う。
一人の個人という考え方は家庭ではありえなくて、家庭では「男の役目」「女の役目」ではなく、対のカップルとしての本質的な関係が重要でそれを怠ると夫婦は崩壊し、子も正常に親離れする前に絶望してしまう。
私は子どもといたいから仕事を辞めたという人も多くみたし、自分が仕事を辞めて家事をしたほうが家計のためで仕方なく主婦になる人も見ました。
が、あるパートも内職もしたことがない主婦が成人した子供に「私は働きたかったのにあんたたち子どもがいたから家にいなければいけなかった」と言っていたのを聞いたんですが、それはひどい。
あと、働く女性に「彼女は家から逃げる場所があってうらやましい」なんて言ってる人、仕事で疲れているのに家に帰ったらひたすら家事という生活を1ヶ月でもやってみたらと言いたくなる。
対の関係がそれぞれなのと同じように、自分の家のルールがほかの家では通用しないというのが完全に無視されている自分勝手な妄想。
でも、たぶん、この対幻想を女性に言わせたら違うような結論が出るのかも?

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